まじめ人間のつれづれ日記

アクセスカウンタ

zoom RSS 日本問題、金さんと田島陽子

<<   作成日時 : 2006/11/01 16:54   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 18

どの番組だったか忘れちゃったけど、台湾出身の元?大学教授、金何とかさんと田島陽子の話は、日本の問題をあぶりだしていた、と思う。

金さん「私と夫は台湾から来日し子供達はこちらで生まれ育ったので日本国籍を持っている。台湾人は我々夫婦だけ。
私は母国台湾を愛しているし、ここまで私たちを包み受け入れてくれた日本を次に愛している。愛国心を否定し、国家を否定する日本人はどこか異常だ、おかしい。健全な愛国心は当たり前だし必要だ」と言う主旨の話をしたら、田島が
「そんな何人、かに人なんていらない。私の外国の知り合いは夫が・・人で、妻が・・人で子供は・・・人と・・人との混血で・・。
人種とか、国籍なんて今の時代は関係ない」というようなことを言った。
金さんは「どんなに時代が変わろうとも人の気持ちは変わらない。親や生まれ育った地域、国への慕情は存在するし、自分の
親は誰なのか、自分が生まれた国はどこにあるのか、気にならない人はいない」と言う主旨のことを言った。
これに対して田島は反論できずにいたように思う。

左派の言い分には何か共通のものがありそうだ。
国旗国歌、国家、国家認識、愛国心、など「国」という字が出てくると何でも受け付けられない精神装置になっているようだ。

そうしてセクト意識から身動きできない現実や、村社会の日本の現実を棚上げして、国際連邦、世界連邦、地球市民、世界平和とか人類愛や博愛を強調する。こういう言葉は好きみたい。私も嫌いなほうではないが。

彼らには、自分達が敗戦からの後遺症として国家アレルギーを持っていることを自覚してほしい。

またその番組の前回に、やっぱり金さんと戸川昌子氏と林家三平の奥さんとの会話を紹介すると、、、

戸川氏と奥さん:日本は9条があったから平和が保たれ外国人を一人も殺さないで済んだ、というような事を言ったら、金さんは
「それは違う。台湾危機があった時、米軍が来てくれたから被害を免れた。憲法だけじゃ平和は守れない」という主旨のことを言ったら、彼女達は唖然とした風情で反論できなかった。

ここにも9条信仰がある、と思う。
飽くまで9条と米軍のセットがあって、初めて外国人を殺さないで済んだ、といえるのではないか。

確かに9条がなく交戦権を認める憲法だったら、とっくに参戦して殺していただろう。が、米軍がいるから、核の傘があるから、他国からの先制攻撃をまぬがれ自衛戦争をしなくても済んでいる、のではないか。確かに必ずしも安保がなかったら先制攻撃されるとは限らないが、可能性は否定できないだろう。

核論議もいけない、という彼らは核抑止力によって9条が存続できている現実をを無視し続けている。

ここにも現実を直視できない「あきめくら」がいる。
そもそも9条は一切の軍備を否定している。なぜ信仰派は自衛隊も日米安保も容認しているのか。容認しながら9条だけを賛美する「欺瞞」。ちっとも美しくない。

こうした世迷言を言い続けて、彼らは日本が国家主権を取り戻すことを妨害している。

多分自分達は素直で純粋な気持ちで9条を守れ、といい国家を否定し、国旗国歌を良かれと思って無視し続けているつもりなのだと思う。それが国家を衰退させていることも知らずに。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
台北ナビ 海外旅行は台湾の台北へ!観光スポット、空港を教えて!
台北ナビ 海外旅行は台湾の台北へ!観光スポット、空港を教えて! ...続きを見る
台北ナビ 海外旅行は台湾の台北へ!観光ス...
2006/11/02 16:15

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
 わたしはその番組を見ていませんが、おそらく金美齢さんだと思う。彼女のお話で、わたしがいちばん感銘をうけたのは、外国人留学生に聞かせた話で「あなたたちは、この国の法律を守りなさい。そうすれば、この国は、あなたたちを守ってくれる。それが、法治主義だ」というものでした。法律が機能しない国からの留学生には適切な助言ですが、同時に、憲法で表現の自由も信条の自由も保障されているこの国の政治家が、政権の主要メンバーだからというだけの理由で、核問題の議論を封殺してしまう、乱暴な野党やメディアの主張には、あきれ果てる。
 あなたが言うように、この国の戦後民主主義とは、同調者には寛容だが、異論は封殺する、全体主義だと思う。スターリンや毛沢東や金正日の民主主義なんだな。
罵愚
2006/11/01 18:15
早速のコメントをどうもです。
そうそう、金美齢さんでした。以前から彼女の歯切れの良い物言いに魅力を感じていました。

>外国人留学生に聞かせた話で「あなたたちは、この国の法律を守りなさい。そうすれば、この国は、あなたたちを守ってくれる。それが法治主義だ」

全く感動ものですよね。ズバリ!単刀直入で力強く簡潔な表現は聞いていて気持ちがすっきりします。日本的あいまいさが一切除去されている点がそう感じさせるのでしょうか。
日本の戦後民主主義が根付くのには時間がかかるのですね。反論に弱いのは無理からぬことなのでしょう。だって日本人は自分の考え方を主にせず、他人の考えを主にして言動する、ことをもって「礼儀、道徳」と捉えているから、他人の意見に反対するのは、非常に無礼千万な輩、ということになるのではないでしょうか。この価値観も大分トーンが下がってはきましたが、まだまだ伝統的精神文化の一つとして生き残ってきたんですね。
特に権力に逆らうのは最も忌避すべきもの、と長い間教えられ庶民の間に深く根付いてきたんですね。だから官僚の天下りを誰も正せない。
suzuran
2006/11/02 10:05
続き。
過去の日本の権力者達は「民は愚かに保て」を信条として執政してきた。
私たち国民はあまりにも長い間「おろかであること」を強制されてきた為、
なかなか賢くなれないのかも。

私も核論議を拒絶するマスコミには日本がいかに核アレルギーに埋没しているか、その症状が出ているようで病的だ、と思います。
それでいて彼らは言論の自由、知る権利とか子供の権利、表現の自由、とか普段は言っているにもかかわらず、ですからまだまだ筋金入りとはいえない。でももし彼らから「では再度国旗国歌や皇室の是非について議論することを容認できるか」と問われたら右派はどう出るでしょうか?
suzuran
2006/11/02 10:11
>民主主義の基本原則である自由とか、平等とか、人権の思想には、合理
的・論理的な根拠なんてありはしない

この意見は罵愚さんのコメントを他のブロで見かけたので載せます。
これは新憲法をも否定する内容になっている、と思うのですが、そうなのですか?とすると貴方の核論議を許さないメディアへの批判は矛盾してきませんか?
suzuran
2006/11/02 10:42
こんにちは。
もしかしたら、僕のブログでの僕とのやり取りも参考にされてこの文を書かれたのかもしれませんが、僕は国家意識をめぐる考えについてはsuzuranさんと議論がずっと平行線をたどっていますが、日本が自衛権を有していて、自衛権を明記することについてのみ限定的に改憲することにまで反対というわけではありません。その点はsuzuranさんのお考えに全面的に反対というわけではありません。(僕のブログでもレスしておきましたが。)

http://blue.ap.teacup.com/documentary/
kusukusu
2006/11/02 11:08
ちょうどすれ違いにお互いのブログにコメントを書き込んだようですね。議論自体もすれ違っているようですが。すみません。
kusukusu
2006/11/02 11:35
クスクスさんは核抑止力や核の傘容認、自衛権を認めながら、愛国心、国旗国歌の定着、国家意識などを否定し続けています。
法律や物だけ装備しても、肝心の人の精神・心が欠けていては戦いにならない、と思います。
「と言うわけではありません」が気になります。
あいまいでまるで阿倍首相みたいですよ。
suzuran
2006/11/03 13:39
suzuranさん、
 あちこちに書き散らしているので、矛盾があるかもしれませんが、ご指摘のカキコは、たしか「皇室制度を否定する根拠として民主主義の男女平等原則を援用するのはおかしい。民主主義の根源となる自由や平等や人権思想には、合理的な根拠はない」の趣旨だと思う。ついでにいうと、皇室制度にも、合理的な根拠があるわけではなくて、伝統文化の所産にすぎない。どっちもどっちで議論にはならないとわたしは主張しています。
罵愚
2006/11/03 15:56

 もうひとつついでにいうと、民主主義は政治制度の一種であって、政策決定の手段にすぎないから、その諸原則を政治以外の…たとえば家族制度とか、教育現場に適用するのは、用途をまちがえている。そのよい例が、政教分離原則で、民主主義のほうから「わたしを援用するのはまちがいですよ」と申し出ている。おなじように、皇室の伝統という民族文化は、民主主義の諸原則のワクの外側の存在だと思います。
 ご指摘の、民主主義と法治主義の尊重に関しては、現行の平和憲法の成立過程や空想的平和主義については、否定的な考え方をもっていますが、主権在民、基本的人権、国際平和主義などについては、60年間の蓄積を評価しています。
罵愚
2006/11/03 15:56
>「と言うわけではありません」が気になります。
あいまいでまるで阿倍首相みたいですよ。

すみません。基本的に僕は性格が優柔不断なほうなので、何か、ひとつの考えを述べると、いつも「でもこれも違うかもしれないな」みたいな気持ちも一方であって、自分としてもいろいろ悩みながら書いているものですから。自分の考えに絶対的な確信を持っているわけではないのです。
不快に思われるかもしれませんが、ご容赦ください。
kusukusu
2006/11/03 16:35
>民主主義の根源となる自由や平等や人権思想には、合理的な根拠はない」ついでにいうと、皇室制度にも、合理的な根拠があるわけではなくて、伝統文化の所産にすぎない。

皇室制度に合理的根拠を求める方がヘン。
だって村祭りに合理的必要性の根拠を求められても、、、ね。
でも、自由、平等という人権思想に合理的根拠はある、というのが私の意見です。

つまり、人類共通の心理として、誰でも生まれながらに差別や支配を望む人はいない、という真理が前提にあって、それを根拠に人類普遍の法則、として法制化した制度で、「生理的必然性」が根拠になっているのでは。

例えば人を殺してはいけない、とか、盗んではいけない、と同じでは。
>皇室制度を否定する根拠として民主主義の男女平等原則を援用するのはおかしい。
伝統の世界に法治主義を持ち込むのは、一見ナンセンスと思えるけど、新憲法が、皇室の権威が政治利用されないよう「象徴」と規定しているのは分かる。それ以外の皇室内での具体的システムに関して男女平等を当てはめるのは私もどうかな、という感じです。
suzuran
2006/11/03 16:48
>法律や物だけ装備しても、肝心の人の精神・心が欠けていては戦いにならない、と思います。

そうか、そういう考え方もあるんですね。どうもここのところを僕は逆に考えていました。
国家意識とか愛国心というのは、少なくとも僕にとっては実感がつかめない漠然としたもののように思えるので、そういった精神的なことを優先して言っても仕方がない、それよりも具体的な物から考えていくことの方が実感としてつかまえられるし、具体的な目に見える物の方を精神的なものよりも優先させて考えていくべきではないかと思っていたようです。
つまり、目の前で具体的に被害にあっている人がいれば、それに対して何かをしようという気持ちが起こるので、そういうものの方が僕は信じられるので、そういうことにこだわって考えていたところがあります。そういう発想にずっととらわれていたのです。
kusukusu
2006/11/03 19:56

たとえば変なたとえかもしれないけれども、子供にただ「勉強しなさい」と言っても、なぜそんなに勉強しないといけないんだろうか?と思ってなかなか勉強するものではないと思うんですね。だけど、受験戦争は悪みたいに言う人がいるけど、この学校に入るために勉強しようみたいな具体的な目標があれば勉強するものだと思うのです。勉強するのがもともと好きでたまらないという特別な子供は別にして、普通はこの学校に入りたいとか、そういう具体的なものがあって勉強するものなのではないでしょうか? 受験は悪だとして受験制度を否定して「ゆとり教育」なんて言っていたら子供が勉強しなくなって出来なくなることは当然だと思うのです。
つまり、精神主義的なことよりも具体的なことで人は動くものなのではないか?
kusukusu
2006/11/03 19:56
従って、たとえば安倍首相が学生にボランティアをさせるということはいい案だと思うのです。具体的にボランティアで人と出会えば公共心が芽生えると思うから。漠然と「障害者を差別してはいけない」と言っていてもそういうものは身につかないわけで、実際に障害者と出会うことで「こういう人がいるんだ。なんとか、しなければいけない」という意識が生まれると思うのです。
それと同じで、具体的に拉致事件の被害者に接すると、やはりこうした被害をなんとかしなければいけないという気持ちが出て来るのではないか? そうした具体的な被害を目にしないで、漠然と「この国を守ろう」みたいなことを言っても、具体的にどうすればいいのかがよく分からず行動に結びつかないのではないか・・。僕はこのような考え方をしていたのです。
どうもここらへんの論理の組み立ての違いに議論がすれ違っている要因のひとつがあるような気がしてきました。
kusukusu
2006/11/03 19:57
丁寧なコメントをどうもです。
精神的なものの大切さを気づかせる為には、確かに理屈だけで標語を連発しても効果が薄いことは理解しています。「差別・いじめはいけない、国を愛せよ、老人をいたわれ」とか言われただけで「あ、そうか・・」と納得する人がいたら不気味です。だからクスクスさんの視点は理解できます。
が、かと言ってのんびり構えていたら多数の死者が出る可能性があるような「自衛問題」を語る時、自衛への真の自覚が生まれることを期待して、直接被害者が続出するのも待っているのがいいのか。。。
クスクスさんは先制攻撃はいつ起こるか予期するのは不可能だから、心の準備など無意味だ、と解釈しているようです。
果たしてそうでしょうか?
suzuran
2006/11/04 11:09
何度でも言いますが、拉致問題が長い間放置された背景について、クスクスさんの見解をまだお伺いしていません。そのことと私の主張とが密接な関りを持つからです。
戦後新憲法を日本国民が肯定し維持してきたことにはいろいろな事情があると思います。でも新憲法の目的は米国の「日本の軍事力を削ぐ」ことにあったことは明白です。二度と侵略できない国にすること、です。
しかし、彼らは侵略されたらどうするか、までは考えていませんでした。
その後日米軍事同盟がなされ、日本の安全は米国に任される形になり、核の傘に入ることになった。だからこれまで9条が維持できた、というのが私の解釈です。
しかしそうした体制では米軍は日本人の拉致(静かな先制攻撃)を防止できなかった。これは米軍のミスにならないのか?私には分かりません。
一体米軍の「日本を守る職務範囲」はどの段階からになっているのか?
拉致は爆発や生物・化学兵器のように、実際に多数の死者を目にすることはできませんが、レッキとした国家テロでしょう。
どうして日本政府は米軍の職務怠慢について責任を問わないのでしょう?

suzuran
2006/11/04 11:28
続き。
また日本政府自身も事前に侵略されないような自衛策(自衛権の行使を立法化する事)をなぜ講じられなかったのか。当時も今の「核論議はもってのほか」と同じく「自衛権行使論議などもってのほか」だったのか。

そういう村社会的な発想が今も続いている、のではないか。
自衛権まで放棄する憲法をありがたがっていた日本人は「おめでたい」の一言です。今もまだ拉致がなぜ起こったか、という議論があまり起こっていないのはどうしたことか。左傾だから、マスコミは都合が悪いことに沈黙しているのか。なんでもあいまい、なんでも先送り。もう、うんざりです。
suzuran
2006/11/04 11:40
つまり私が言いたいのは「事前の心の準備」があったら憲法制定時に「侵略を受ける」事も想定して自衛権の行使を盛り込む事を米国側に要求するべきだったのです。しかし日本の為政者達はそうしなかった、できなかった。

そして60年後の今もまだできていない。
果たして拉致はもうなくなったのか?まだ行われているのか、判然としません。日本国内に在日朝鮮人がどれだけいるのか分かりませんし、彼らのうちのどれくらいの人が工作員になっているのか、援助を求められているのかも分かりません。手厳しいことを言わせてもらいますけど、
クスクスさんはそうした事前の防止策はあまり関心を持たないまま、家族の会を支援しているのですか?
このまま被害者が続出しているかもしれませんが、目前に見える形にならないと気にならないのですか?
suzuran
2006/11/04 11:52

コメントする help

ニックネーム
本 文
日本問題、金さんと田島陽子 まじめ人間のつれづれ日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる