まじめ人間のつれづれ日記

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help RSS 「「愛国心/5000円也」…おいこら、買う気あんのかぁ!!」について

<<   作成日時 : 2006/12/28 12:31   >>

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「愛国心/5000円也」…おいこら、買う気あんのかぁ!!」について
私が考える「公共の福祉に反する行為」
<< 作成日時 : 2006/10/19 13:18 >>

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判決要旨 1、

我が国において,日の丸,君が代は,明治時代以降,第二次世界大戦終了までの間,皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられできたことがあることは否定し難い歴史的事実であり,国旗・国歌法により,日の丸,君が代が国旗,国歌と規定された現在においても、なお国民の間で宗教的,政治的にみて日の丸,君が代が価値中立的なものと認められるまでには至っていない状況にあることが認められる。このため,国民の間には,公立学校の入学式,卒業式において,国旗掲揚,国歌斉唱をすることに反対する者も少なからずおり,このような世界観,主義・主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り,憲法上,保護に値する権利というべきである

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公共の福祉に反しない限り、少数者の権利は保障されるべき、と言う判決か。

でも現実にはこうした状況が学校現場で長期に継続したことが、大いに公共の福祉に反する、どころか国家転覆の危機すら招いているのではないか,と思えて仕方がない。
このことから右派が彼らに「反日」とレッテルを張りたくなるのではないか、と推測している。

国家意識が希薄な上に日米安保に寄りかかっていることから、国家の危機に対しても鈍感にならざるをえないのではないか。


これまでの日本は、国旗を掲揚する家庭が少なく、学校でもスポーツの場ですら起立、斉唱する時いかにも億劫な、気乗りしない態度で臨んでいる人が多いのが常態化しているかに思える。それでも国旗国家法が制定された、というのは不思議なくらいだ。私にはこうした姿に敗戦の影が感じられる。
GHQ政策による策略もあったのではないか。

こうした流れが拉致犯罪を許したのではないだろうか。

「健全な」国家観を育てることは必要だ。それがなくして当たり前の危機意識は生まれないと思う。

よって義務教育の場で国旗国歌を自然のうちに定着させることに反対している教師は結果的に、日本国民全体を国家観の希薄な民族に方向づけ危機意識の脆弱な民族にしてしまう、という危険を冒していると言える。

これが私の考える「公共の福祉に反する」意味だ。

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国旗・国歌法の制定・施行されている現行法下において,生徒に,日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,将来,国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長させるために,国旗,国歌に対する正しい認識を持たせ,それらを尊重する態度を育てることは重要なことである。そして,学校における入学式,卒業式等の式典は、生徒に対し,学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わさせ,新しい生活への動機付けを行い,集団への所属感を深めさせる意味で貴重な機会というべきである。このような入学式,卒業式等の式典の意義,役割を考えるとき,これら式典において,国旗を掲げ,国歌を斉唱することは有意義なものということができる

国旗,国歌は,国民に対し強制するのではなく,自然のうちに国民の間に定着させるというのが国旗・国歌法の制度趣旨であり,学習指導要領の国旗・国歌条項の理念と考えられる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
判決要旨 2、


国旗・国歌法の制定・施行されている現行法下において,生徒に,日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,将来,国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長させるために,国旗,国歌に対する正しい認識を持たせ,それらを尊重する態度を育てることは重要なことである。

そして,学校における入学式,卒業式等の式典は、生徒に対し,学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わさせ,新しい生活への動機付けを行い,集団への所属感を深めさせる意味で貴重な機会というべきである。このような入学式,卒業式等の式典の意義,役割を考えるとき,これら式典において,国旗を掲げ,国歌を斉唱することは有意義なものということができる

国旗,国歌は,国民に対し強制するのではなく,自然のうちに国民の間に定着させるというのが国旗・国歌法の制度趣旨であり,学習指導要領の国旗・国歌条項の理念と考えられる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
判決はこのように国旗国歌法に基づいて、学校で掲揚,斉唱することは「重要であり有意義である」としている。

ところでこんな裁判やっている国が他にあるのだろうか?
ドイツでも敗戦後謝罪、反省ムード一色で国民が一丸となって
ナチスだけに罪をきせることに同意してきた、それが功を奏して
ドイツ軍も国際紛争の平和貢献で派兵することが公認されている。これまでちまたでは彼らドイツ人の反省が本物であり敬意の念をこめてその潔さを褒めちぎる人達すらいる。
が、果たしてそうだろうか?
日本は昭和になって初めて普通選挙があったが、ドイツでは国民が熱狂的にナチスを支持し選んだ経緯がある。戦後いきなり180度変わって真の反省など急展開で人間が変われるものなのだろうか、、、?という疑問が残る。
戦争に明け暮れた経験が生きて「要領がいい世渡り上手」なのかもしれない。
彼らがキリスト教徒としてどうしてあそこまで残忍になれたのか、他の欧州人もそれまで信仰を続けてきたのに怖かったとはいえ一緒にユダヤ人を迫害し加担してきた。この罪は未来永劫語り継がれるだろう。残忍さにおいては日本人など物の数ではないかもしれない、何しろ人間を「原料」として扱える神経を持っている人達だったわけだから。

日本はA級戦犯だけに罪をきせるのは「しのびない」という国民感情から社会党員も積極的に戦後彼らの死を「公死」とし、犯罪人としての汚名をとりのぞく工夫をしていたようだ。さらに遺族にも補償を、ということで合祀を取り決めたようだ。

こうした日本民族の感情ってただ単に「やさしい」と受け止めるべきか、「権力に弱い」と受けとめるべきか、両方か?
赤紙一枚で無謀な戦場に借り出され犠牲者の役7割の兵士が
飢え死にという「戦う前に死ぬ」死に方=犬死をさせられた、、
なのに戦犯と呼ばれる彼らに同情して何とかして名誉を回復してあげようという、、、ためいき。ドイツ人との何と言う違い!

しかし指導者達の日本国民に対する責任は明治憲法では問えないらしいけど、人道的にはあるはず。
靖国参拝が東アジアでの外交問題に発展しているが、日本もA級戦犯だけに罪をきせてもらって分祀させ、天皇も参拝できるようにする、という麻生太郎氏の案にしてしまえばいい、と思う。


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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
ピーターフランクルさんの仰ることは当然だと思いますよ。
母に対する思い、故郷や母校に対する思い入れ、誰しも自然に湧いてくるのではないでしょうか?それと同様に母国に対する思いと言うのも当然あるわけで、そこまでは否定していません。
しかしながら、「愛国」と言う言葉は本来の意味は、そう言う国を愛する心と言う意味なのでしょうが、残念ながら現実には国粋主義と同意語として使われているのではないでしょうか?
本来の意味での国を愛する心は、誰しもが自然に持ち合わせているもので、何者にも押し付けられたものではありません。また、国旗や国家も国民のコンセンサスを得られたものであれば、自然に敬愛する気持ちが生まれるでしょう。しかし、残念なことに日の丸は、その旗の下に他国を侵略したと言う覆すことのできない歴然とした事実がありますし、その旗を他国に翻すため大勢の自国民を犠牲にしたと言うことも事実であり、そのためにアレルギー反応を起こしてしまう人もいるわけです

2007/01/10 18:14
。「君が代」に関しても、民主国家になったのだから「我等が世」ならまだしも「君が世」では納得できないと言う人もいる事も事実で、そう言う人たちにまで無理やり押し付ける権利は国家にはないと考えています。
行きすぎたナショナリズムが国際紛争の原因になる危険を孕んでいることは歴史が証明していますので、愛する母国を再び戦火にさらすことのない様に親権に考えている人たちに、国を愛する気持ちがないとは思えません。
「愛国」と言う言葉に限って言えば、ピーターフランクルさんの国家感の解釈と日本人の解釈には大分ズレがあるように思いますね。

2007/01/10 18:15
風さん、こんにちは。コメントをどうもです。ピーターさんは愛国と国粋は違う、とおっしゃっていますが、同感です。
政府に反対するのも、愛国心の表れと言えます。
でも過去の歴史にいつまでも拘泥し国旗国歌を拒否し続けて、一体我が国にどんな未来が生まれるというのか。国際状況が激変する中このままでは日本の溶解すらあり得るかも知れず、戦後を克服して新しい国づくりを進める時期に来ていると思うのです。いつまでもアレルギー症状を持ち続けたままで日本は未来永劫、米国の属国として実質国家主権を行使できないまま、米国の支配下に甘んじ、米国益を優先する国として存在すべきでしょうか?
阿倍首相は反米諸国家のうねりの中で、米国偏重をすこしづつ軸足をずらしていこう、としているようです。基本的にその方向は健全な独立国家として進むべき方向だ、と思います、
suzuran
2007/01/11 16:49
風さん、こんにちは。
「国旗国歌の押し付け」という解釈ですが、確かに教育基本法に記載するのは「おしつけがましい」感じはします、が、それはあまりにも日本国内に
国家アレルギーが風化せずに生き残り、それが教育の現場に居座り続けていることで日本人全体で国旗国歌を軽視する風潮が定着してしまった事が、ひいては日本国家の衰退につながることを懸念する権力側のあせりを生み、広島の校長の自殺をきっかけに「国旗国家法」が制定され、教育基本法制定、の流れになったもの、と解釈しています。
君が代に関しては、戦前は君主天皇は日本の主であり国民は赤子である、という解釈だったそうですが、戦後は象徴天皇で日本は「国民の生まれ育つ故郷」であり、国家中枢は国民の生命財産を守ることを任務とする機関である、よって君が代の解釈も「象徴天皇の御世=日本国民の御世、が千代に八千代に続きますように・・・」という願いを込めて祈り、謳う日本国の歌、と解釈しています。
suzuran
2007/01/16 11:20

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