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zoom RSS 学校で愛国心を“評価すること”に反対!

<<   作成日時 : 2006/11/24 15:48   >>

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敗戦後の日本が米国式民主主義を直輸入した為か米国礼賛、白人崇拝、の反対にすべての「日本文化の否定」があったことは否定できないと思う。

さらに日本式合理主義は本質を見誤った平等主義に陥り、敗戦後遺症ともいうべき「国家アレルギー」症状をもたらし、特に学校現場でその傾向が顕著に見られて、「教育は国の柱」という言葉どおり、今では国旗国歌を軽んじる傾向が定着してしまったように思える。これは一国家として由々しき問題だ。

自民保守派がこうした傾向に業を煮やし、拉致問題を契機に
国旗国歌の定着や愛国心教育を提案しだしたのも必然であり、
この流れは健全なもの、と受け止めたい。国家アレルギーで現実を直視できず超理想主義に走る人たちをどう扱うべきか、が
今後の課題となるだろう。

しかし、学校で日本文化について、これまでの「全否定」のゆがみを正し、長所を教え目覚めさせることは有益だが、生徒がどれだけ愛国心をもっているかどうかを、つまり生徒の内面を教師が外側から態度で評価するという感覚は、ついていけない。あまりにも拙速で強引な感じがする。
これでは半強制的に「愛国心がある振り」を生徒に演じさせることになりはしないか。飽くまで愛する、愛さないという内面はプライバシーの範囲内のことであり、基本的人権の尊重、という
思想から逸脱している発想に思えてならない。
デリカシーがなさすぎる。

阿倍首相のこういう感覚がタウンミーティングでの「やらせ」を
生み出した根源になっていそうで、危惧の念を禁じえない。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
 ご案内いただきましたので、拝見しました。
 教師が外面から評価することに反対であるというご意見には賛成です。ただ、私はさらにそれを延長して、「国旗をかかげ国歌を歌うことが愛国心でしょうか?」と疑問を投げかけたいのです。それ自体が形だけのものなのではないですか? 国旗に敬意を払わなくても、国のために行動することはできます。逆に、国旗に敬意を払えば、国のために何も行動しなくていいのですか? 国旗・国歌って、私は究極の外面からの愛国心評価だと思っているのです。国旗を掲げる愛国心もあれば、あえて国旗を破り捨てる愛国心もあるのではないでしょうか? 行為は逆でも、内面は同じ愛国心から出ることもあると思います。私はむしろ、国家アレルギーというものがあると考えるより、違った視点から国のことを考えているのだと思います。国旗・国歌押し付け派がそれを理解しようとしないだけで・・・。いずれにしろ、両者はきちんと話し合う機会があったほうがいいでしょうね。
M.FUKUSHIMA
2006/11/25 20:05
 それから、私は自分の経験から学校で日本文化が全否定されているとは、思っていません。立派に日本文化が肯定されていたと思うのです。もちろん、全国の学校を経験したわけではないので、そういう学校もあるのかもしれませんが・・・。
M.FUKUSHIMA
2006/11/25 20:06
レスをどうもです。
>国旗・国歌って、私は究極の外面からの愛国心評価だと思っているのです。
そういう見方は特に右派に存在していると思いますが、私の考え方はそうではありません。押し付けがましい考え方に反発をしたくなる気持ちは、これもまた自然な流れだと思います。かつての私の受け止め方もそうでした。
でもその後、よく考えて見ると世界中で国旗国歌を自然に受け入れている姿を見て、あれが健全な形なんだろうな、と思ったのです。
日本人全体に国旗国歌がまだ自然で好感を持って受け入れられているようには思えません。やはり私には単なる個人差というより、敗戦の後遺症と思えるのです。
ですから国会で国旗国歌法が制定されたのをきっかけに、あの判決が示しているように「自然な形で定着させることがあるべき姿」だと思います。
政府が長い間国民の間にある「国家権力アレルギー」の存在を無視、あるいは放置してきたことが現在の状況を招いている、と思えるのです。

でもこのまま国民の国家観がバラバラでいざと言う時に国を挙げて防衛体制をとることが可能なのか、非常に疑問です。
suzuran
2006/11/27 16:49
ある人が国家とは特権階級の独占物だ、と考えていたようなので、私が国家とは特定の人たちの独占物ではなく、本来日本人ならほとんどの人が「生まれて育った祖国」として愛着を持っていて、それが祖国愛とか愛国心につながっているものだ、と考えているという話をしたのですが、とうとうどうにもその人の固定観念を変えることはできませんでした。国家という言葉自身に生理的に反発を感じるようで理屈ではどうしようもないようで議論にならない。だから国家アレルギーは存在する、と考えた次第です。
suzuran
2006/11/27 16:57

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